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2022年1月4日火曜日

雪の京丹波・里山

昨日、久しぶりに京丹波の里山を訪れました。
昼前に大阪の自宅を出て車で1時間ほど、能勢の峠道を登るあたりから路肩に雪が見え始め、次第に山や田畑が雪景色になってきました。
幸い天気が良くて国道は雪が溶け、ノーマルタイヤでも何とか1時間40分ほどで京丹波にたどり着きました。

車を置いて道を登ってみると、そこは一面の銀世界。
青空のもと、光り輝く雪の風景がとても美しく感じられました。
あちらこちらに小動物の足跡も残っています。
写真に撮ることはできなかったのですが雉の姿も見えました。
バサバサとけたたましい羽音をたてて慌てて飛んで行ったようです。


 

2021年5月2日日曜日

京丹波:一ヶ月前の風景

新年度のはじめが本当に慌ただしく過ぎた。その間、なかなかブログを更新できなかった。勤務先ではまた遠隔授業に戻ってしまった。後期には母校の大学にも再び出講させていただくことになった。

とにかく早くコロナが収まってほしいと切に思う。

このブログのタイトルの写真は、以前訪れた京丹波にあるワイナリーの風景。葡萄畑の様子を撮影させていただいた。のどかな風景で、自分ではとても気に入っている。


2021年3月9日火曜日

この前の日曜日、久しぶりに京丹波の里山を訪れた。

梅の花が芳しい香りを放っていて、春の訪れを感じることができた。






2020年12月20日日曜日

雪の京丹波:今朝の風景

今朝の風景。

しばらく京丹波を訪れることができないでいたが、今朝、京丹波の里山から写真を送ってもらった。

京丹波:晩秋の雑木林

11月中旬、前回京丹波を訪れた時の写真。雑木林の朝の風景。


2020年11月28日土曜日

京丹波:霧の朝

先日の早朝、京丹波で目にした光景。

「丹波霧」という言葉どおり、この地域は霧が多い。夕暮れ時になると辺り一面霧に覆われ、朝日が差すとともに退いてゆく。

束の間の幻想的な光景を見ることができる。

2020年11月18日水曜日

美山かやぶき美術館・郷土資料館

先日の日曜日、久しぶりに京丹波へ。

そしてこの日は、京丹波からさらに車で1時間ほどのところにある美山かやぶき美術館・郷土資料館を初めて訪れた。爽やかな青空の心地よい一日だった。 

美山かやぶき美術館

同館の案内資料によると、建物は、築150年に及ぶ北山型入母屋づくりとのこと。建物の内部も見ることができる。

内部の様子

付近の風景

食事をしたところ

そのあと訪れた石田家住宅(重要文化財)
約350年前に建築された農家とのこと

内部の様子

すぐ近くにある大原神社

美山はとても素晴らしいところで、ぜひまた訪れてみたいと思った。


2020年11月6日金曜日

13年前の記憶・京丹波

(以前のウェブサイトの記述からの再構成)

明日、11月7日は立冬とのこと。
例年この時期は学校行事の準備などで何かと慌ただしく、なかなか京丹波を訪れることができない。そこで、過去の自分自身のウェブサイトの記述から再構成を試みた。

*   *   *   *   *   *   *

13年前の冬、京丹波のあるお宅を訪れた。
そこには薪ストーブがあった。
赤々と炎が燃えていて、仄かに漂う木の香が心地良かった。
外は一面の雪景色。
幻想的だった。


薪ストーブにあたりながらふと自分自身が小学校に通っていたころのことを思い出した。
大阪市内、福島区の公立小学校だったが、市内でも有数の歴史のある学校だった。
当時の教室には石炭ストーブがあった。
校舎は築後数十年は経っていただろうという古めかしいが立派な鉄筋造。
教室の壁にはストーブ用の排気口が設えられていて、
ストーブから排煙パイプが繋がれていた。
大きな球形のくもりガラスの照明ランプが高い天井からぶら下がり、
その中からは、白熱電球が温かみのある光を放っていた。
油びきの木の床に腰板。
そして、白い壁と天井のコーナーには、レリーフの飾りが施されていた。

今考えてみると、何ともレトロな雰囲気だ。
そういえば1990年代の半ばに初めてハンガリーを訪れたときに見たどこかの小学校に何となく似ていたような気もする。

毎朝、先生が教室に来て最初にする仕事は、その石炭ストーブに火を入れることだった。
まず新聞紙や木切れで火を焚きつけ、そのあとで徐々に石炭をくべていく。
うまく火がつくかどうか、子どもたちは目を凝らしていた。
そして、次第に温まっていくのだ。
無事に火がついてからようやく1時間目の授業が始まる。

給食のときに、その石炭ストーブでパンを焼くのがとても楽しみだった。
担任の先生の計らいで、一人分3本のコッペパンのうち、1本だけを全員順番に焼かせてもらえた。
教室中に香ばしい匂いが漂い、みんな大喜びだった。
とてものどかな光景だった。
その校舎は改築されて、今はもう残っていない。

訪れたお宅で薪ストーブにあたりながら不思議と昔の懐かしい記憶が甦った。
これも薪ストーブの癒しの効能によるのだろうか。
そんな薪ストーブを自分も一台ほしくなった。
でも、大阪のマンション住まいの身には遠い存在のようだ。

2020年10月10日土曜日

秋草文様

「秋草文様」は、着物の柄や屏風絵、蒔絵などに用いられる日本の代表的な模様である。

手元に「日本美術の流れ」(源豊宗著、思索社、1990年)という本がある。著者の源豊宗氏は、日本を代表する美術史家で仏教美術が専門とのこと。その著書によれば、日本の装飾意匠には、好んで秋草が用いられている。日本美術を貫いて流れる美意識ないし美的表現は情緒主義であり、その象徴的なものとして秋草がある。つまり、秋草は日本美術の本質の象徴であるとのこと。

・・・秋草を眺めながらいろいろと思いをめぐらせる。そのこと自体がいかにも情緒的であり、日本的ということだろうか。

2020年10月4日日曜日

秋草の風景

秋の京丹波の里山。
足元に無数の秋草が生い茂っている。
雑草に違いないが、よく見るとそれらの一本一本に個性があって面白い。
律動的にも見える。
眺めていると、何となく穏やかな気持ちになる。

高校生の頃だっただろうか。図書館で借りた国木田独歩の「武蔵野」を読んで、秋の雑木林の風景描写の美しさに感動した記憶がある。しかし、そこに描かれた風景とは、実際には見ることのできない過去の風景だった。

そのような朧げな記憶がよみがえった。

2020年9月27日日曜日

今朝の里山の風景

日曜日の早朝、京丹波の里山にて。
雨模様の天気だったが、次第に晴れ間が見えてきた。
あたりには爽やかな空気が流れている。


<追記>
日ごろ、大阪市内の自宅と勤務先を往復しているためか、里山の風景に憧れる。樹木のある場所が好きなのかもしれない。

京丹波は、大阪から北へほぼまっすぐ進んだところである。大阪市内の自宅からだと、車で1時間40分ほどで到着する。

十数年前の夏、偶然のことで初めて京丹波を訪れた。木々の緑がとても生き生きしていて息を飲むほどに美しく思わず感動したことが今も忘れられない。以来、しばしば訪れる場所となった。

2020年9月20日日曜日

木漏れ日の風景


ブログを始めるにあたってタイトルをどうするか、かなり苦慮した。そして、思いついたのが「木漏れ日の風景」というもの。都市公園の緑の中や郊外の里山のような
心地よい場所をイメージした。言ってみれば「木漏れ日の風景」は、自分自身の憧れの対象でもあるのだ。

「withコロナ時代」や「アフターコロナ」、はたまた「ステイホーム」などといった言葉までが登場した昨今ではあるが、そのような鬱々とした雰囲気を一掃してくれるような清々しい場所にしたい。

爽やかな秋の風を感じるような、日常の束の間の休息の場所でありたい。