2021年8月12日木曜日

久しぶりのコンクール(1)

久しぶりに岡山県と奈良県の合唱コンクールの審査をさせていただいた。

昨年は新型コロナ感染拡大のため全てが中止となったが、今年は各地が開催されている。もちろん、全員がマスクを着用し、無観客の会場で十分な距離をとって万全の配慮のもとに行われている。

困難な中、練習を重ねて美しい歌声を聴かせてくださった皆さんに、心から拍手を送りたかった。

どちらも日帰りでの移動となったが、倉敷では駅までの帰路、美観地区を少しだけ散策できた。
岡山県合唱コンクールの会場となった倉敷市芸文館

倉敷美観地区



●2021年8月11日(水)第31回 奈良県合唱コンクール(大和高田さざんかホール大ホール)

主催:奈良県合唱連盟・全日本合唱連盟関西支部・朝日新聞社、後援:奈良県、奈良県教育委員会・大和高田市教育委員会・NHK奈良放送局 

 

●2021年8月8日(日)第74回 岡山県合唱コンクール(倉敷市芸文館)

主催:岡山県合唱連盟・朝日新聞社、共催:岡山県、後援:岡山県教育委員会・岡山市・岡山市教育委員会



2021年5月2日日曜日

ベランダの木漏れ日

気がつけば、ベランダにも新緑の季節が訪れていた。


京丹波:一ヶ月前の風景

新年度のはじめが本当に慌ただしく過ぎた。その間、なかなかブログを更新できなかった。勤務先ではまた遠隔授業に戻ってしまった。後期には母校の大学にも再び出講させていただくことになった。

とにかく早くコロナが収まってほしいと切に思う。

このブログのタイトルの写真は、以前訪れた京丹波にあるワイナリーの風景。葡萄畑の様子を撮影させていただいた。のどかな風景で、自分ではとても気に入っている。


2021年3月9日火曜日

この前の日曜日、久しぶりに京丹波の里山を訪れた。

梅の花が芳しい香りを放っていて、春の訪れを感じることができた。






2020年12月20日日曜日

雪の京丹波:今朝の風景

今朝の風景。

しばらく京丹波を訪れることができないでいたが、今朝、京丹波の里山から写真を送ってもらった。

京丹波:晩秋の雑木林

11月中旬、前回京丹波を訪れた時の写真。雑木林の朝の風景。


2020年11月28日土曜日

京丹波:霧の朝

先日の早朝、京丹波で目にした光景。

「丹波霧」という言葉どおり、この地域は霧が多い。夕暮れ時になると辺り一面霧に覆われ、朝日が差すとともに退いてゆく。

束の間の幻想的な光景を見ることができる。

2020年11月18日水曜日

美山かやぶき美術館・郷土資料館

先日の日曜日、久しぶりに京丹波へ。

そしてこの日は、京丹波からさらに車で1時間ほどのところにある美山かやぶき美術館・郷土資料館を初めて訪れた。爽やかな青空の心地よい一日だった。 

美山かやぶき美術館

同館の案内資料によると、建物は、築150年に及ぶ北山型入母屋づくりとのこと。建物の内部も見ることができる。

内部の様子

付近の風景

食事をしたところ

そのあと訪れた石田家住宅(重要文化財)
約350年前に建築された農家とのこと

内部の様子

すぐ近くにある大原神社

美山はとても素晴らしいところで、ぜひまた訪れてみたいと思った。


2020年11月8日日曜日

昔からの知人

昨日と今日、相次いで昔からの知人二人に電話をかけた。
とくに急用ということではなく、何となく近況報告といったつもりだった。
そして、今日のこと。

先方「何か、つらいことがあったのですか?」
自分「いえ、そんなことはありませんが・・・」
「・・・・」

その後、いろいろな話で楽しいひと時を過ごすことができた。


「何か、つらいことがあったのですか?」
やや不意を突かれたようなその言葉のあと、自問してみた。
もしかすると、正直に言えばそうだったかもしれない・・・
そんな時、ふと三浦照子さんの詩を読み返してみたくなった。

いつか、三浦さんのアトリエに絵を習いに行きたいと思っている。
まず1本の線を描いて、その次にその線を重ねてみる。
次に葉を描いて・・・
雑木林の絵を描いてみたい。
木漏れ日の差す風景を描きたい。

2020年11月6日金曜日

13年前の記憶・京丹波

(以前のウェブサイトの記述からの再構成)

明日、11月7日は立冬とのこと。
例年この時期は学校行事の準備などで何かと慌ただしく、なかなか京丹波を訪れることができない。そこで、過去の自分自身のウェブサイトの記述から再構成を試みた。

*   *   *   *   *   *   *

13年前の冬、京丹波のあるお宅を訪れた。
そこには薪ストーブがあった。
赤々と炎が燃えていて、仄かに漂う木の香が心地良かった。
外は一面の雪景色。
幻想的だった。


薪ストーブにあたりながらふと自分自身が小学校に通っていたころのことを思い出した。
大阪市内、福島区の公立小学校だったが、市内でも有数の歴史のある学校だった。
当時の教室には石炭ストーブがあった。
校舎は築後数十年は経っていただろうという古めかしいが立派な鉄筋造。
教室の壁にはストーブ用の排気口が設えられていて、
ストーブから排煙パイプが繋がれていた。
大きな球形のくもりガラスの照明ランプが高い天井からぶら下がり、
その中からは、白熱電球が温かみのある光を放っていた。
油びきの木の床に腰板。
そして、白い壁と天井のコーナーには、レリーフの飾りが施されていた。

今考えてみると、何ともレトロな雰囲気だ。
そういえば1990年代の半ばに初めてハンガリーを訪れたときに見たどこかの小学校に何となく似ていたような気もする。

毎朝、先生が教室に来て最初にする仕事は、その石炭ストーブに火を入れることだった。
まず新聞紙や木切れで火を焚きつけ、そのあとで徐々に石炭をくべていく。
うまく火がつくかどうか、子どもたちは目を凝らしていた。
そして、次第に温まっていくのだ。
無事に火がついてからようやく1時間目の授業が始まる。

給食のときに、その石炭ストーブでパンを焼くのがとても楽しみだった。
担任の先生の計らいで、一人分3本のコッペパンのうち、1本だけを全員順番に焼かせてもらえた。
教室中に香ばしい匂いが漂い、みんな大喜びだった。
とてものどかな光景だった。
その校舎は改築されて、今はもう残っていない。

訪れたお宅で薪ストーブにあたりながら不思議と昔の懐かしい記憶が甦った。
これも薪ストーブの癒しの効能によるのだろうか。
そんな薪ストーブを自分も一台ほしくなった。
でも、大阪のマンション住まいの身には遠い存在のようだ。

2020年10月24日土曜日

ひょうご日本歌曲の会

ひょうご日本歌曲の会は、作曲家、詩人、歌手(声楽家)からなる交流とコラボレーションの場である。作曲家の中西 覚氏(同会代表)や声楽家の岡田征士郎氏(同会副代表)らの呼びかけで、2007年末に誕生した。以来、毎年の本公演のほか、サロンコンサートを開催するなど、熱心な活動を続けてきた。

筆者も発足以来、会員として活動に参加させていただいていて、今までに10曲の歌曲を作曲し、発表させていただいた。素晴らしい詩人、演奏家、作曲家との貴重な出会いの機会となった。

例年、今の時期は本公演に向けたリハーサルが進められているのだが、今年はコロナの影響で11月に予定されていた本公演も来年に延期となり、活動が一時的な休止状態となっている。


<大阪府感染症対策情報:大阪モデル>

http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona_model.html

<大阪府新型コロナウイルス感染症関連の特設サイト>

http://www.pref.osaka.lg.jp/default.html


2020年10月18日日曜日

樹木の絵

いつか樹木の絵を描いてみたいと思っている。自分はどちらかというと、常緑樹よりも爽やかな落葉樹が好きだ。重なり合った枝が緑の深みを増す。一枚一枚の葉には様々な色彩と輝きがある。そして木々の枝の間から透けて見える向こう、遠景には里山や田畑や民家、道、そして空がある。そんな風景の絵を描いてみたい。

でも、自分は絵を描く術を知らない。水彩画? 油絵? それとももっと他の方法があるのだろうか? まず、そこから学ばなければならないとしたら、気が遠くなるほど先の話になってしまうかもしれない。思い通りの絵が本当に描けるのだろうか。その絵は、一体いつになれば仕上がるのだろうか。何だか思いだけがぐるぐると回ってしまう。

里山の風景を見ているとそのような思いに駆られる。そして「音」で思い通りの「絵」が描けたらいいなあ・・・ といつも思う。


2020年10月17日土曜日

雨の日


昨夜から雨が降っている。10月も半ばを過ぎ、かなり涼しくなってきた。最近は土曜日もオープンキャンパスや入試などで出勤することが多かったので、久しぶりに自宅で過ごす土曜日は、なんだか新鮮な感じがする。

午後のひととき、自宅のすぐ近くにある公園を通ってみた。ふだんの土曜日の昼下がりなら多くの人で賑わっている場所だが、やはり雨の日は人の姿も少ない。木々の葉は雨にあらわれているようで心なしか美しく見える。

今日のような雨を何と言うのだろう。秋の雨なので秋雨? 気になってインターネットで検索してみた。

秋雨、秋時雨、秋湿り、霧雨、秋霖・・・そのほか、多くの言葉があることにあらためて気づいた。

日本語には、秋の雨に限らず、雨に関する言葉がとても多い。400語以上もあると紹介するウェブサイトもあった。

爽やかな秋晴れの日も良いが、今日のようなしっとりとした雨の日も落ち着いた感じで好きだ。


2020年10月10日土曜日

秋草文様

「秋草文様」は、着物の柄や屏風絵、蒔絵などに用いられる日本の代表的な模様である。

手元に「日本美術の流れ」(源豊宗著、思索社、1990年)という本がある。著者の源豊宗氏は、日本を代表する美術史家で仏教美術が専門とのこと。その著書によれば、日本の装飾意匠には、好んで秋草が用いられている。日本美術を貫いて流れる美意識ないし美的表現は情緒主義であり、その象徴的なものとして秋草がある。つまり、秋草は日本美術の本質の象徴であるとのこと。

・・・秋草を眺めながらいろいろと思いをめぐらせる。そのこと自体がいかにも情緒的であり、日本的ということだろうか。

2020年10月4日日曜日

秋草の風景

秋の京丹波の里山。
足元に無数の秋草が生い茂っている。
雑草に違いないが、よく見るとそれらの一本一本に個性があって面白い。
律動的にも見える。
眺めていると、何となく穏やかな気持ちになる。

高校生の頃だっただろうか。図書館で借りた国木田独歩の「武蔵野」を読んで、秋の雑木林の風景描写の美しさに感動した記憶がある。しかし、そこに描かれた風景とは、実際には見ることのできない過去の風景だった。

そのような朧げな記憶がよみがえった。