2020年12月20日日曜日

雪の京丹波:今朝の風景

今朝の風景。

しばらく京丹波を訪れることができないでいたが、今朝、京丹波の里山から写真を送ってもらった。

京丹波:晩秋の雑木林

11月中旬、前回京丹波を訪れた時の写真。雑木林の朝の風景。


2020年11月28日土曜日

京丹波:霧の朝

先日の早朝、京丹波で目にした光景。

「丹波霧」という言葉どおり、この地域は霧が多い。夕暮れ時になると辺り一面霧に覆われ、朝日が差すとともに退いてゆく。

束の間の幻想的な光景を見ることができる。

2020年11月18日水曜日

美山かやぶき美術館・郷土資料館

先日の日曜日、久しぶりに京丹波へ。

そしてこの日は、京丹波からさらに車で1時間ほどのところにある美山かやぶき美術館・郷土資料館を初めて訪れた。爽やかな青空の心地よい一日だった。 

美山かやぶき美術館

同館の案内資料によると、建物は、築150年に及ぶ北山型入母屋づくりとのこと。建物の内部も見ることができる。

内部の様子

付近の風景

食事をしたところ

そのあと訪れた石田家住宅(重要文化財)
約350年前に建築された農家とのこと

内部の様子

すぐ近くにある大原神社

美山はとても素晴らしいところで、ぜひまた訪れてみたいと思った。


2020年11月8日日曜日

昔からの知人

昨日と今日、相次いで昔からの知人二人に電話をかけた。
とくに急用ということではなく、何となく近況報告といったつもりだった。
そして、今日のこと。

先方「何か、つらいことがあったのですか?」
自分「いえ、そんなことはありませんが・・・」
「・・・・」

その後、いろいろな話で楽しいひと時を過ごすことができた。


「何か、つらいことがあったのですか?」
やや不意を突かれたようなその言葉のあと、自問してみた。
もしかすると、正直に言えばそうだったかもしれない・・・
そんな時、ふと三浦照子さんの詩を読み返してみたくなった。

いつか、三浦さんのアトリエに絵を習いに行きたいと思っている。
まず1本の線を描いて、その次にその線を重ねてみる。
次に葉を描いて・・・
雑木林の絵を描いてみたい。
木漏れ日の差す風景を描きたい。

2020年11月6日金曜日

13年前の記憶・京丹波

(以前のウェブサイトの記述からの再構成)

明日、11月7日は立冬とのこと。
例年この時期は学校行事の準備などで何かと慌ただしく、なかなか京丹波を訪れることができない。そこで、過去の自分自身のウェブサイトの記述から再構成を試みた。

*   *   *   *   *   *   *

13年前の冬、京丹波のあるお宅を訪れた。
そこには薪ストーブがあった。
赤々と炎が燃えていて、仄かに漂う木の香が心地良かった。
外は一面の雪景色。
幻想的だった。


薪ストーブにあたりながらふと自分自身が小学校に通っていたころのことを思い出した。
大阪市内、福島区の公立小学校だったが、市内でも有数の歴史のある学校だった。
当時の教室には石炭ストーブがあった。
校舎は築後数十年は経っていただろうという古めかしいが立派な鉄筋造。
教室の壁にはストーブ用の排気口が設えられていて、
ストーブから排煙パイプが繋がれていた。
大きな球形のくもりガラスの照明ランプが高い天井からぶら下がり、
その中からは、白熱電球が温かみのある光を放っていた。
油びきの木の床に腰板。
そして、白い壁と天井のコーナーには、レリーフの飾りが施されていた。

今考えてみると、何ともレトロな雰囲気だ。
そういえば1990年代の半ばに初めてハンガリーを訪れたときに見たどこかの小学校に何となく似ていたような気もする。

毎朝、先生が教室に来て最初にする仕事は、その石炭ストーブに火を入れることだった。
まず新聞紙や木切れで火を焚きつけ、そのあとで徐々に石炭をくべていく。
うまく火がつくかどうか、子どもたちは目を凝らしていた。
そして、次第に温まっていくのだ。
無事に火がついてからようやく1時間目の授業が始まる。

給食のときに、その石炭ストーブでパンを焼くのがとても楽しみだった。
担任の先生の計らいで、一人分3本のコッペパンのうち、1本だけを全員順番に焼かせてもらえた。
教室中に香ばしい匂いが漂い、みんな大喜びだった。
とてものどかな光景だった。
その校舎は改築されて、今はもう残っていない。

訪れたお宅で薪ストーブにあたりながら不思議と昔の懐かしい記憶が甦った。
これも薪ストーブの癒しの効能によるのだろうか。
そんな薪ストーブを自分も一台ほしくなった。
でも、大阪のマンション住まいの身には遠い存在のようだ。

2020年10月24日土曜日

ひょうご日本歌曲の会

ひょうご日本歌曲の会は、作曲家、詩人、歌手(声楽家)からなる交流とコラボレーションの場である。作曲家の中西 覚氏(同会代表)や声楽家の岡田征士郎氏(同会副代表)らの呼びかけで、2007年末に誕生した。以来、毎年の本公演のほか、サロンコンサートを開催するなど、熱心な活動を続けてきた。

筆者も発足以来、会員として活動に参加させていただいていて、今までに10曲の歌曲を作曲し、発表させていただいた。素晴らしい詩人、演奏家、作曲家との貴重な出会いの機会となった。

例年、今の時期は本公演に向けたリハーサルが進められているのだが、今年はコロナの影響で11月に予定されていた本公演も来年に延期となり、活動が一時的な休止状態となっている。


<大阪府感染症対策情報:大阪モデル>

http://www.pref.osaka.lg.jp/iryo/osakakansensho/corona_model.html

<大阪府新型コロナウイルス感染症関連の特設サイト>

http://www.pref.osaka.lg.jp/default.html


2020年10月18日日曜日

樹木の絵

いつか樹木の絵を描いてみたいと思っている。自分はどちらかというと、常緑樹よりも爽やかな落葉樹が好きだ。重なり合った枝が緑の深みを増す。一枚一枚の葉には様々な色彩と輝きがある。そして木々の枝の間から透けて見える向こう、遠景には里山や田畑や民家、道、そして空がある。そんな風景の絵を描いてみたい。

でも、自分は絵を描く術を知らない。水彩画? 油絵? それとももっと他の方法があるのだろうか? まず、そこから学ばなければならないとしたら、気が遠くなるほど先の話になってしまうかもしれない。思い通りの絵が本当に描けるのだろうか。その絵は、一体いつになれば仕上がるのだろうか。何だか思いだけがぐるぐると回ってしまう。

里山の風景を見ているとそのような思いに駆られる。そして「音」で思い通りの「絵」が描けたらいいなあ・・・ といつも思う。


2020年10月17日土曜日

雨の日


昨夜から雨が降っている。10月も半ばを過ぎ、かなり涼しくなってきた。最近は土曜日もオープンキャンパスや入試などで出勤することが多かったので、久しぶりに自宅で過ごす土曜日は、なんだか新鮮な感じがする。

午後のひととき、自宅のすぐ近くにある公園を通ってみた。ふだんの土曜日の昼下がりなら多くの人で賑わっている場所だが、やはり雨の日は人の姿も少ない。木々の葉は雨にあらわれているようで心なしか美しく見える。

今日のような雨を何と言うのだろう。秋の雨なので秋雨? 気になってインターネットで検索してみた。

秋雨、秋時雨、秋湿り、霧雨、秋霖・・・そのほか、多くの言葉があることにあらためて気づいた。

日本語には、秋の雨に限らず、雨に関する言葉がとても多い。400語以上もあると紹介するウェブサイトもあった。

爽やかな秋晴れの日も良いが、今日のようなしっとりとした雨の日も落ち着いた感じで好きだ。


2020年10月10日土曜日

秋草文様

「秋草文様」は、着物の柄や屏風絵、蒔絵などに用いられる日本の代表的な模様である。

手元に「日本美術の流れ」(源豊宗著、思索社、1990年)という本がある。著者の源豊宗氏は、日本を代表する美術史家で仏教美術が専門とのこと。その著書によれば、日本の装飾意匠には、好んで秋草が用いられている。日本美術を貫いて流れる美意識ないし美的表現は情緒主義であり、その象徴的なものとして秋草がある。つまり、秋草は日本美術の本質の象徴であるとのこと。

・・・秋草を眺めながらいろいろと思いをめぐらせる。そのこと自体がいかにも情緒的であり、日本的ということだろうか。

2020年10月4日日曜日

秋草の風景

秋の京丹波の里山。
足元に無数の秋草が生い茂っている。
雑草に違いないが、よく見るとそれらの一本一本に個性があって面白い。
律動的にも見える。
眺めていると、何となく穏やかな気持ちになる。

高校生の頃だっただろうか。図書館で借りた国木田独歩の「武蔵野」を読んで、秋の雑木林の風景描写の美しさに感動した記憶がある。しかし、そこに描かれた風景とは、実際には見ることのできない過去の風景だった。

そのような朧げな記憶がよみがえった。

2020年9月30日水曜日

卒業生の合唱

一昨年、勤務先短大の同年卒業生有志が集まって少人数の合唱グループを立ち上げた。大阪市内を活動の拠点とし、月に1・2回程度の練習を重ねていた。筆者も可能な限り、指導のために参加していた。

残念ながらこの活動も現在コロナのために休止している。

2020年9月27日日曜日

今朝の里山の風景

日曜日の早朝、京丹波の里山にて。
雨模様の天気だったが、次第に晴れ間が見えてきた。
あたりには爽やかな空気が流れている。


<追記>
日ごろ、大阪市内の自宅と勤務先を往復しているためか、里山の風景に憧れる。樹木のある場所が好きなのかもしれない。

京丹波は、大阪から北へほぼまっすぐ進んだところである。大阪市内の自宅からだと、車で1時間40分ほどで到着する。

十数年前の夏、偶然のことで初めて京丹波を訪れた。木々の緑がとても生き生きしていて息を飲むほどに美しく思わず感動したことが今も忘れられない。以来、しばしば訪れる場所となった。

2020年9月26日土曜日

合唱連盟によるガイドライン

一般社団法人 全日本合唱連盟が公表している合唱活動に関するガイドラインは、以下のとおり。これらは、文科省のホームページアからもリンクされている。

合唱活動における 新型コロナウイルス感染症拡大防止のガイドライン(第1版 2020年6月29日 策定 第1.1版 2020年9月8日 更新)

https://www.jcanet.or.jp/JCAchorusguideline-ver1_1.pdf


合唱活動時の感染防止対策汎用版 9月9日 第1.1版(PDF)*9月9日修正(ver1_1ss)

2020年9月25日金曜日

遠隔方式による会議

コロナの影響で、様々な催物が中止になったり実施方法が変更されたりしているが、筆者が役員を務めている音楽教育関係の学会でも今年度の役員会は、ほとんど Zoom などを利用した遠隔方式で行っている。

高度な機密情報などを含む会議であればセキュリティー面での懸念もあるだろうが、筆者が所属する学会における打ち合わせなどでは今のところ問題は感じられない。むしろ、遠隔地からでも容易に参加することができるなどのメリットもある。

所属学会とは別に、昨晩は声楽と音声に関する勉強会に Zoom で参加させていただき、貴重な知識を多くいただいた。

このような遠隔会議方式は、今後も一般化してゆくのではないかと思う。


<追記>
新型コロナウイルス国内感染の状況は、グラフで見る限り7月下旬から8月上旬をピークとして減少傾向にある。今後もこの傾向が続くだろうか。

<参考資料>「東洋経済オンライン」より

2020年9月24日木曜日

催物開催制限

本年9月11日付で、内閣官房新型コロナウイルス感染対策推進室長より各都道府県知事、及び各府省庁担当課長室宛の事務連絡として以下の文書が発信された。(内閣官房ホームページより)

https://corona.go.jp/news/pdf/jimurenraku_20200911.pdf

本年9月19日以降11月末日までとした上で、大声での歓声、声援等がないことを前提とし、マスクの着用を含め、感染防止対策の所定の条件を全て満たす場合に限り、収容率の上限を100%とすることなど、細かく記述されている。 

また、同じく内閣官房の「新型コロナウイルス感染症対策」 のページには「業種別ガイドライン」https://corona.go.jp/prevention/pdf/guideline.pdf?20200924 が本日(9月24日)付で掲載されている。

(内閣官房発表文書のリンクについてのコメントは以下の通り)

ただし、今の段階では12月以後のことについては分からない。

初演の延期

昨年から今年にかけて三つの合唱組曲、合計12曲を完成した。混声合唱組曲が二つ、女声合唱組曲一つである。これらのうちの一つは、昨年12月に初演されたが、他の二つについては、今年開催される予定だった演奏会がコロナの影響で中止となり、まだ初演されていない。

音楽関係、とくに合唱の活動に関しても今回のコロナのことで、とても大きな影響を受けている。活動する人たちの健康と安全が第一であり、一定期間活動を休止するのは当然のことである。一方、そのことによって、今まではごく当然としか思わなかったこと、音楽への思いを持った人々が集い、音楽によって交感し合うということの大切さをあらためて実感できたようにも感じる。

心置きなく合唱できるということは本当に素晴らしいことだ。早くそのような時が戻ることを願うばかりである。


2020年9月23日水曜日

遠隔授業の効果

文部科学省などによれば遠隔授業の方法は次のような分類になるとのことである。

 1)同時双方向型(テレビ会議方式等):Google Meet、Zoom Meetingなど
 2)オンデマンド型、または非同時双方向型(インターネット配信方式)
   :各学校のポータルシステム、Moodle、YouTubeなど

遠隔授業の効果については、今後様々な機会を通じて検証されてゆくだろう。遠隔授業を実施するにあたり、当然教員にはそのための準備、つまり教材となるコンテンツ作りの作業が課される。また、授業後のフォロー、つまり提出物へのコメントや添削指導もとても大切だと思う。これらが実はとても大変な作業なのだが、多くの教員が今このような作業に万全を期して本当に真剣に取り組んでいると思う。

筆者の勤務先でも本年度後期は対面授業と遠隔授業を併用した「ハイブリッド型」の時間割を組むこととなった。今回初めてその時間割の編成作業にも携わった。自分自身が担当する授業は、後期7コマのうち2コマが遠隔授業となった。合計で約70名の学生が受講する。先週実施した授業の提出課題のチェック作業を先ほどようやく終えたところだ。連休のうちの3日間をほぼこの作業に費やした。その効果を一日も早く確認したいところだが、結果は時を経てみないと分からない。

2020年9月22日火曜日

ホームページの移動とブログの開設

自分のホームページを新しい場所に移動することにした。

2002年に作成ソフト「ホームページビルダー」を購入して自己流でホームページを作り始め、その後パソコンをMacに変えたためにそれに合わせてソフトもBindに変えた。そのソフトが一昨年になぜか突然使えなくなってしまい急遽再び「ホームページビルダー」に戻した。そのような経緯をたどり振り返ってみれば開設してから18年が過ぎた。

結果、スタイルもデザインもバラバラの記述が積み上がってしまった。18年間の自分自身を振り返ってみるためだけならこれでも良いのだが、何分そのような状況なので全体の構造でさえ自分でも把握できていない。やはりこの状況ではまずいので何とかしたいと考えていた。

見渡せば、今は様々な便利なツールが選択できる。いろいろ比較してJimdoというツールを選択することにした。これだとMacでも手軽に使用できる。会社のホームページ(https://www.jimdo.com/jp/about-jimdo/)によれば2007年にドイツで若い創始者によって法人化され、現在はハンブルク、東京、サンフランシスコに拠点があって170万人が使用しているとのことである。日本ではKDDIウェブコミュニケーションズが協業パートナーとなっているようで、早速オリジナルのドメインも取得した。また、これを機にブログも始めることにした。ブログの方はGoogleのBlogerにした。

新しいキャンバスにこれから絵を描いていくようなワクワクした気分である。いったいどんな絵が描けるだろうか。


2020年9月21日月曜日

「涵養」という言葉

の4月から勤務先短大で学科長の任に当たっている。自分にそのような仕事が回ってくるとは全く予期していなかったし、できるとも思っていなかったが、依頼していただいたということに感謝し、何とか頑張ってみることにした。

仕事柄、文科省から送られてくる文書を読むことも多くなった。そんな矢先、先日読んだ文書の中の「涵養」という言葉が印象に残った。

緊急事態宣言が発令されて以来、全国の大学等で遠隔授業の形態が採られているが、そのことの弊害も取りざたされている。このような状況を踏まえてか、その文書には次のような記載がある。

「大学等における教育は,オンライン等を通じた遠隔授業の実施のみで全てが完結するものではなく,豊かな人間性を涵養する上で,直接の対面による学生同士や学生と教職員の間の人的な交流等も重要な要素であることにも御留意いただきつつ・・・」(2文科高第543号 令和2年9月15日より)

オンラインのメリットは否定できないものの、直接の対面によって得られる心のつながりを大切にするとのこと。当然のことではあるが、コロナによって本当に大切なことが再認識されたということなのだろうか。


2020年9月20日日曜日

木漏れ日の風景


ブログを始めるにあたってタイトルをどうするか、かなり苦慮した。そして、思いついたのが「木漏れ日の風景」というもの。都市公園の緑の中や郊外の里山のような
心地よい場所をイメージした。言ってみれば「木漏れ日の風景」は、自分自身の憧れの対象でもあるのだ。

「withコロナ時代」や「アフターコロナ」、はたまた「ステイホーム」などといった言葉までが登場した昨今ではあるが、そのような鬱々とした雰囲気を一掃してくれるような清々しい場所にしたい。

爽やかな秋の風を感じるような、日常の束の間の休息の場所でありたい。


2020年9月19日土曜日

ヘブンリーブルー(空の青)

9月も後半にさしかかり、ようやく爽やかな風を感じることができるようになった。暑さに弱い自分は、夏の間かなり疲れていたようだ。今日は全身が覚醒したような前向きな気持ちで朝を迎えることができた。

今朝の出勤途中、歩道のプランターに西洋アサガオが咲いているのを見つけた。いつもと同じ通り道なのに、なぜか昨日までは気づかなかった。「ヘブンリーブルー」という品種らしい。空の青。まさに今朝の空の色だ。

今日からブログを始めることにした。